羽田空港清掃員・新津春子の経歴プロフ!掃除は誇りを持つべき職業/プロフェッショナル

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2019年7月2日(火)NHK放送【プロフェッショナル仕事の流儀】は『世界一の清掃さらなる高みへ〜清掃員・新津春子』で4年前2015年6月にも出演されている『新津春子』出演されますヽ(^o^)

4年前【プロフェッショナル仕事の流儀】に出演し大反響をおこした新津春子さん・・・「世界一清潔な空港」として4年連続羽田空港を国際的な格付けランキングで世界一に輝かせました☆彡

現在たった一人の『環境マスター』として清掃業務のレベルアップに貢献しています。

そんな新津春子さんがとても気になったので調べてみました。

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羽田空港清掃員『新津春子』さんの経歴/プロフィール

英国スカイトラックスが実施する航空会社の格付けランキングで「世界で最も清潔な空港」で4年連続1位に選ばれている羽田空港ですが、その栄誉に貢献しているのが日本空港テクノ株式会社で清掃部門のスタッフ約500人を束ねている「新津春子さん」です。

新津春子さんなしには成し遂げなかった栄誉ですよね!

羽田空港清掃員『新津春子さん』の簡単なプロフィール

 
 
 
 
 
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新津春子さんは1970年に中国残留日本人孤児2世として中国・藩陽で生まれ、中国残留日本人孤児だった父親のすすめで新津春子さんが17歳の時に家族で渡日しました。

家計は裕福ではなかったのでその当時未成年だった弟を除き、両親とお姉さんと新津春子さんの家族全員が働かなければいけませんでしたが、日本にきたばかりで日本語も上手く話せなかったので、そのような状態で新津春子さん一家は仕事を探しましたが清掃員か中華料理店のウエイトレスといった選択肢しかなかったようです。。。。

その中で新津春子さん一家は、家族が一緒に働ける仕事に就きたいという思いが強かったので、それを叶えるためには清掃の仕事しかなかった・・・というのが新津春子さんが清掃の仕事を始めるきっかけとなりました。

羽田空港清掃員『新津春子』さんの経歴は?

1970年

中国残留日本人孤児二世として中国藩陽に生まれます。

1987年

中国残留日本人孤児だった父親の薦めによって新津春子さんは家族全員で渡日してきました。17歳だった新津春子さんは言葉がわからなくてもできるから・・・という理由で清掃の仕事を始めました。

新津春子さんは高校を卒業するまで最初に始めた清掃の仕事を続け、大学を卒業後はヘッドホンを製造する会社に就職しましたがやはり清掃の仕事の方の方にやりがいを感じ、先に清掃員の道へと戻ることになります。

1995年

日本空港技術サービス(現在:日本空港テクノ)に入社します。

1997年

当時の最年少で全国ビルクリーニング技能競技大会で1位になります。

それ以降は指導者としても活躍し、現在は羽田空港国際ターミナル・第一ターミナル・第二ターミナルの清掃の実技指導者に加え、ただ一人の「環境マスター」として羽田空港全体の環境整備に貢献しながら次の世代に続くマスターを育てる活動を行なっています。

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新津春子さんにとって清掃の仕事とは?

 
 
 
 
 
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新津春子さんにとって清掃の仕事は天職!?

新津春子さんはもともと清掃の仕事が好きで始めたわけではなく、生きていくために仕事をしなければならない中、その選択肢が清掃だった。。。と新津春子さんは語っています。

しかし、新津春子さんは清掃の仕事をやり始めてみると学ぶことがたくさんあり、ひとつずつ新しいことを覚えるのが楽しくていつしか夢中になっていたそうです。

清掃のための洗剤や機械についていろんなことを覚えできるようになると自信がつき、もっともっとと新津春子さんのやる気につながっていきました。

新津春子さんは大学を卒業ご一度はヘッドホンを製造する会社に就職しましたが、その会社は必要以上のことをおしえてくれたり向上する目標も精度もなかったので、その場に止まらず常に成長したいと考える新津春子さんの正確には合わなかったようで、「やっぱり清掃の仕事がしたい」という強い気持ちになりました。

そんな時に清掃の訓練校の募集を見つけましたが、そのクラスは45歳以上しか受講できなかったのですが、納得のいかない新津春子さんは入学を諦めませんでした!とにかく思いを伝え続け、残留孤児の採用枠を利用して入学することになり、次の日にはヘッドホンの会社を辞めました。

そしてその学校でそれまで知らなかったことをたくさん教えてもらい、掃除の訓練校を卒業後「日本空港テクノ」に入社することになるのですが、当時は男性しか募集していない・・・ということでやはり納得のいかない新津春子さんは「男性と同じ体力で同じ量働き、同じ時間に終わればいいんですよね?・・・」と何度もなんども掛け合い、ようやく入社することができました。(この時に特例をつくるほどに新津春子さんは清掃の仕事にのめり込んでいたんですね)

新津春子さんの清掃は「心」でチェックする

現在、新津春子さんは現場で清掃作業をすることはなく、清掃指導や新規製材のテストといった業務に徹しているそうですが、教える立場になってからもマニュアルには頼らず常に「心」を使うのを忘れないよう心がけているそうですよ!

例えば、清掃員が清掃した後のチェック作業をする新津春子さんは、マニュアルのチェック項目表を使わないで「心」でチェックをするそうです。それは、項目に書かれたところだけをチェックすると、清掃員はそこしか清掃しなくなり、チェックする側も項目以外の場所がキレイになっていても清掃員の努力に気づいてあげることができないからだそうです。

「お互いに誰のために、なんのためにやるのかを考え「心」を使わないと最高の仕事はできない」・・・と新津春子さんは言います。

そんな新津春子さんの清掃に対する考えに大きく影響を及ぼし「優しさ」を教えてくれた恩師が現在の羽田空港での勤務に導いてくれた「鈴木優常務」だそうです。

鈴木常務に「きみはね、優しさが足りないんじゃないかな」と言われたことがきっかけで、《いつも硬い表情で作業していたことや道具を雑に扱っていたこと、自分の担当場所さえキレイになればそれでいいと思っていたこと》に気がついた新津春子さんは、それからは清掃中はにこやかな表情を心がけ、どんな時もお客様が気持ちよくいられるように配慮し、道具も優しく扱うようになり・・・その姿勢が評価され『全国ビルクリーニング技能競技大会』で満点を取り27歳にして史上最年少の優勝を果たしたそうです!

 

本当、その通りですよね!これは清掃に限らずどんな仕事にも言えることだと思います。この言葉を見て私も改めて自分自身について考えさせられました。

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陽の当たらない仕事は「価値が低い仕事」ではない

一般的に「地位が低い職業」と見なされる一面のあることに対して新津春子さんはあるインタビューで強く反論しています。

「誰もが気持ちよく過ごせる環境を作る清掃は素晴らしい仕事です。地位が低いなんて、とんでもない。決して目立つ仕事ではありませんが、私は自分を職人だと思っています。陽の当たらない仕事だからといって価値が低いわけではありません。むしろ清掃は誇りを持つべき職業です」

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新津春子さんのハウスクリーニング

 

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まとめ

  • 新津春子さんは「世界一清潔な空港」として4年連続羽田空港を国際的な格付けランキングで世界一に輝かせました。
  • 現在たった一人の『環境マスター』として清掃業務のレベルアップに貢献しています。
  • 新津春子さんは1970年に中国残留日本人孤児2世として中国・藩陽で生まれました。
  • 中国残留日本人孤児だった父親のすすめで新津春子さんが17歳の時に家族で渡日しました。
  • 新津春子さんは清掃の仕事が好きで始めたわけではなく、生きていくために仕事をしなければならない中、その選択肢が清掃だったそうですが清掃の仕事は天職だったようです。
  • 新津春子さんは27歳の時に最年少で全国ビルクリーニング技能競技大会で1位になりました。
  • 陽の当たらない仕事は価値が低いわけではありません。むしろ誇りを持つべき職業です!

 

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