2019年5月26日(日)日本テレビ系列【所さんの目がテン】の放送では『西洋の文化が庶民の生活に浸透してきた明治中期の生活』が紹介されました。
教えてくれたのはその時代に詳しい「大阪学院大学の森田健司教授」です。
明治の暮らしを体験してくれたのは現代っ子の「都丸沙也華さん」です。
明治時代は西洋の文化が日本に入ってきて、これまで長く続いた日本の文化がどんどん変わっていき全く新しい生活が始まります。
明治時代は和と洋が混じり合っている時代でした。
明治時代の始まり
今から151年前黒船が来航し鎖国政策に終わりを告げ、明治時代が始まりました。
積極的に西洋文化を取り入れ、人々の暮らしは大きく変わりました。
明治5年には日本初の鉄道が開業され、官公庁などは次々と洋館になり街にはガス灯がともり夜も明るくなりました。
【明治の暮らし】家は?
【明治時代】の家はどういうの?
【『博物館明治村』愛知県・犬山市】
ここは明治の中期に建てられ森鴎外や夏目漱石が相次いで住んだと言われる比較的裕福な家です。
明治になり家の中には中廊下ができました。
中廊下は江戸時代の和風の建築にはありませんでした。
廊下を造ることによって部屋が一つずつ独立し始めます。
そういった西洋の文化が入り、プライバシーを大切にしようとするようになりました。
【明治時代】のファッションって?
当時のファッションの最先端をいっていた、嬢様たちの女学生ファッションといえば・・・現代の卒業式などで切られる袴です♬
短めに着付けた着物にえび茶色の袴。
袴姿は江戸時代では男性がはくのが主流でしたが、明治に入って女性もはきはじめました。
【明治時代】の髪型はどんなだった?
【 女学生 】
江戸時代は日本髪だった女性の髪型にも変化がありました。
明治中期では後ろで一つに結ぶ「束髪」という髪型が流行りました。
束髪は自分で簡単に結えるので髪を洗う回数が増えて衛生的だと言われ女性たちの間で一気に普及しました。
【 男性 】
髪型は明治4年の散髪脱刀令で男性の多くはちょんまげを切り落とし散切り頭にし、帽子や口髭が流行り始めました。
服装は羽織には西洋のコートを着用し、手にはステッキを持ちます。
【 女性 】
江戸時代から続く小袖姿にショールをはおり洋傘やハンドバックを持ちます。
【明治時代】の靴はどういうの?
足元は西洋から入ってきたブーツを履くようになりました。
服装は着物で足元は西洋といった、少しだけ西洋の要素を取り入れた和洋折衷がおしゃれとされていました。
【明治の暮らし】生活は?
明治中期の女学生の生活は・・・と言えば・・・
髪は江戸時代よりは洗う回数は増えたものの毎日は洗っていませんでした。
髪型を崩さないために江戸時代と同じで高さのある箱枕を使っていました
家には明治時代になって初めて一般の家庭に柱時計が普及した。
柱時計の動力は「ゼンマイ」です。定期的に巻かなくてはいけません!
江戸時代は鐘で時を表していましたが、明治6年(1873年)に太陽暦が導入され24時間制になり時計が必要になりました。
明治中期、朝起きてまずすることは・・・水くみです!
この時代にはまだ家まで水道がとどいていなかったので、家のそばにある井戸から水をくんでいました。
水道が家の中に水がとどいたのは昭和になってからです。
水くみは当時の子供もやっていた大事な仕事です。
この時期には西洋から自転車が入ってきました♬
明治時代の自転車はとても高級品だったようですよ!
明治時代は今につながる様々な西洋文化が入ってきた時代です。
学校行事の運動会も明治時代から始まったんですって♬
運動会では、髪を結う速度をきそう髪結い競争や生き物を採取する動物採取競争など、
今の運動会とは全く違う競技がありました。(これらの競技は全て袴で行なっていたんですよ(^_^;))
【明治の暮らし】どんなレジャーがあった?
【神奈川県・大磯町 照ヶ崎海岸】
大磯は日本の海水浴場として初めて作られた場所です。
江戸時代には海水浴はなく、明治時代に海水浴が始まりました。
明治時代女性たちの間で流行った海水浴の格好は、西洋の影響を受けたしま模様の水着でした。
袖が肘まであり太ももは隠され肌の露出はかなり控えめでした。
水着にも着物の帯を意識したものがつけられ、西洋と和の文化がまざっていたようですね。
明治時代は海水浴は楽しむものではなかったようです。
海水浴は治療や健康増進のためだったんです。
明治時代、ヨーロッパでは海水浴は「健康増進・回復」に効果があるということで広まっていて、それが日本にも伝わってきました。
明治18年(1885年)大磯で日本初の海水浴場が開かれました。
海水浴場で人々が棒につかまっている絵が残されていますが、それは潮流で波の刺激を体に与え海辺の清涼な空気を吸うことが健康にいいとされていたのです。
ちなみに・・・
浮き輪の代わりには板を使っていたそうですよ(^_^;)
【明治の暮らし】写真の撮り方は?
明治時代の写真は「湿板写真(しっぱん写真)」でした。
湿板写真とは坂本龍馬も撮影した幕末から明治時代にかけて広まった写真の技術です。
昔の写真は一瞬で撮影はでず、撮るのに20秒間かかったそうですよΣ(‘◉⌓◉’)
明治時代、撮影では「首おさえ」という道具を使って撮影をしていました。
「首おさえ」は、首に軽くはめて固定をし、動かないようにします。
首おさえは、撮影時間が長く体を固定するために必要なものだったようですね。
そのため、首や腕を固定して撮影しなければいけませんでした。
湿板写真の撮影はガラス板に薬品を塗りそれをフィルムとして使います。
ガラスに塗られた薬品に光が当たると化学反応が起きてガラスに像を記録できる仕組みです。
まとめ
◎ 明治の暮らしは西洋の文化が入り新しい生活が始まります。
◎ 明治の暮らしは和と洋が混じり合っている時代でした。
◎ 明治の暮らしは西洋料理が庶民の食卓に登場し始めました。
◎ 明の時代のカレーライスにはカエルを入れていました。
◎ 明治時代の家には中廊下が造られました。
◎ 明治時代の女学生のファッションは袴が主流でした。
◎ 明治時代の靴は西洋からのブーツを履くようになりました。
◎ 明治時代の男性の髪型はちょんまげを切り落とし散切り頭になり、帽子や口髭が流行り始めました。
◎ 明治時代の髪型は束髪が流行りました。
◎ 明治時代に運動会も行うようになりました。
◎ 明治時代に海水浴が始まりました。
◎ 明治時代の写真は湿板写真(しっぱん写真)でした。
ここまで読んでいただいて、ありがとうございました(*´◒`*)