2019年4月30日平成最後の【マツコの知らない世界】放送は、
マネキン原型師の欠田誠さんがゲスト出演します。
欠田誠さんは63年間マネキンを作り続けて、
現在84歳です。(2019年4月時点)
ここでは欠田誠さんのマネキン原型師としての
経歴やマネキンについて紹介します。
欠田誠さん(マネキン原型師)の経歴
欠田誠さんは1934年東京都生まれです。
欠田誠さんは、マネキンを作り続けて、
なんと63年のレジェンドです!
欠田誠さんは、
京都市立美術大学(現在の京都市立芸術大学)を
彫刻科卒業しています。
1957年
欠田誠さんは七彩工芸(現在の七彩)に入社し、
マネキン原型製作をはじめます。
1961年
二科展で二科銀賞を受賞します。
1964年〜1965年
インターナショナル・コッペリア社の招きにより、
スペインで原型製作に協力します。
1970年
七彩工芸の技術スタッフと目を開いたままの
人体を型取りする技術(FCR)の開発に成功します。
七彩工芸グループはこのスーパーリアル・マネキンで
1971年「視覚の錯覚」展を開催します。
1974年
第11回日本国債美術展に出品します。
1975年
ジャパン・ショップ75で技術開発賞、
日本商工会議所会頭賞を受賞します。
1977年
第20回毎日選抜美術展に出品します
1980年
まがい物の光景・現代美術とユーモア展に出品します
1983年
現代のリアリズム展に出品します。
1986年
七彩退職後、トーマネにてサンローランやシャネルの
オリジナル・マネキンなどを製作しました。
ヤマトマネキンにてヤマトマネキン・原型スタッフと
上海ハワード・アーツ社の協力を得て、
紙を素材にしたエコ・マネキンを開発しました。
また新システムによる多機能マネキン、
新スポーツマネキンなども製作しました。
2002年
『マネキン 美しい人体もの物語』を出版します。
2005年
江戸川大学 非常勤講師
江戸川大学 特別講師
2006年〜2010年
(株)アップルにてマネキン開発スタッフの
育成などに協力します。
2008年
人がつくる、ひと。展に出品します。
2009年
立体造形出版記念展に出品します。
ヒストリーチャンネルにて、職人の道具
「マネキン作家 欠田誠」が放映されます。
2011年
堀内正和へのオマージュ展に出品します。
2013年
戦った後の美術展、時をかける等身大人形展に
出品します。
2015年
災害復興支援チャリティーオークション展などに
陶彫作品を製作して復興支援活動を継続します。
2016年〜2017年
『再発見日本の立体』展に出品します。
(群馬県立館林美術館・静岡県立美術館・三重県立美術館)
現在
トーマネにて原型製作に協力されています。
マネキンとは?
マネキンの語源はどこから?
マネキンはフランス語で「モデル」を指すようですね。
マネキンはフランス語のmannequin(マヌカン)なので、
日本では「マヌカン」が「客を招かない(招かん)」
ということに嫌がった化粧品会社が「招き猫」とかけて
造語したためにマネキンになったそうですよ☝︎
マネキンはファッションの最先端のフランスが
発祥だったんですね♬
マネキンの歴史とは?
マネキンはフランスが発祥ですが、もともとフランスの
宮廷で流行していた服をヨーロッパの各国へ伝えるために、
人間の等身大サイズの木製人形が作られたのが
マネキンの始まりだそうです。
日本で、マネキンが衣装の広告として使われたのは、
1928年が最初だったようです。
京都で日本初のマネキン制作会社が設立されたそうです。
当時はフランスから輸入されたマネキンを改造したり
変化させたマネキンを作っていましたが、
その後、マネキンの様々な研究や改良が為され、
日本独自の製法でファイバーマネキンと呼ばれる
マネキンが製造されるようになったそうです。
しかし、そのファイバーマネキンは製造するのに
手間がかかり、1体1体同じマネキンを作ることが
できなかったので、ポリエステルで作られたマネキンが
開発されました。
当時のマネキン制作会社は、商売のためにマネキンを
作っていたというよりも、芸術性を求めて芸術家たちを
集めて芸術家たちに自由にマネキンを製作させていたと
言われています。
それらのマネキンは海外にも輸出され、高い評価を
得たそうですよ!
芸術性の高い日本のマネキンは世界からも
認められていたのですね。
そんな歴史の中に昔から存在しているマネキンですが、
今もまだ衰えずにファッション業界では存在し続け、
私たちも街では必ず見かける、マネキンは
ファッションには不可欠なものですね!
マネキンのトレンド
長い歴史を持つマネキンですが、
ファッションに大きく関わっているマネキンです、
マネキンにも時代ごとのトレンドがあるようですよ。
1950年代のマネキン
1950年台後半に入ると、ミレーヌ・ドモンジョや
パルカル・プッチなどスクリーンでの人気女優に
イメージを求めたものをはじめとし、髪型やメーキャップ
など映画の影響が見られました。
また、多くは美人画などに見られる日本的な女性美を
基調にしたものでした。
マネキンのプロモーションは、ふっくらした胸元、
50センチ前後という極端に細いウエストを持ったもので
ポーズも慎ましやかな優美さを基調にしたものでした。
1960年代のマネキン
この年代まではタブーとされてきた”ひざ頭”のファッションが
解放されました。
そのため、マネキンの表現を革新刺せ膝小僧をリアルにした
マネキンが生み出されました。
マネキンも次第に人間に近いプロポーションの表現が
され始め、以前は50センチ前後だったウエストサイズは
実際の人間に近いリアリティ表現がされるようになりました。
1970年代のマネキン
マネキンはファッション・ステートメントを訴求する
ビジュアル・プレゼンテーションの主要素材に位置付けられ
衣料品売り場だけではなくて家具や食料品売り場などにも
使用されるようになりました。
1980年代のマネキン
マネキンの多様な素材、多様な表現が定着する時代です。
ファッションデザイナーが服をデザインするだけではなく、
それを切るマネキンまで含めてクリエイトする傾向が
いちじるしくなり、素材的にも多様なものが起用されて
いきました。
三宅一生のシリコンと半透明のプラスチック、
コム・デ・ギャルソンのこうぞ製紙と半透明プラスチック
によるもの、ケンゾーのステンレスの綿材を溶接したものなど
空間のオブジェとしてアート化したものも含めて、
多様な素材の起用など業界にかなりの刺激を与えました。
1990年代のマネキン
スカルプチュア・ヘア、透明度を増し、繊細さと洗練度を
加えた西洋風「動的」表現のものを貴重にしがら、
新しく東洋風「静的」表現を加えました。
また個人的キャラクターをモデルにしたものがあれば、
ハイテク技術を駆使したものもありました。
マネキン21世紀
パリのオート・クチュールのショウ・ウインドウには
マネキンが一斉に登場しました。
マネキンによるプレゼンテーションの選択には、
商品デザインとの関連があり、マネキンへの
注目は広告との共通性だと言われました。
マネキンはまさに売り場では、たくさんの花が咲いているように
飾られていますが、ただ単に飾られているだけではなく、
マネキンが表現する動きによって、視覚的に宣伝を行う
大きな役目も担っています。
まとめ
普段ショッピングに行ってかならず見かけるマネキンですが、
マネキンにもトレンドがあったり、マネキンの表現力・・・
ファッション業界にはかなりの影響力を持っています。
あまり深く考えたことがなかったのですが、
これからは少し違った目でマネキンを見ると
もっと面白そうですね。
奥が深いです。。。