金澤翔子wikiプロフィール/経歴は?情熱大陸出演、母は書家の金澤泰子!5月5日

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2019年5月5日(日)TBS系列【情熱大陸】の放送で、

書家の『金澤翔子さん』が取り上げられました。

 

 

 

 

 

 

金澤翔子さんは、母・泰子さんの影響で

5歳から書道を始めたました。

 

ダウン症によるハンデがありながらも、

金澤翔子さんの筆から生み出される書には

エネルギーが溢れ出し、その力強さに

涙する人も少なくありません。

海外でも知られるほどです。

 

 

 

 

ここでは、そんな金澤翔子さんの生い立ち・・・

経歴やプロフィールなどについて調べてみました。

 

 

4月10日に発売された「金澤翔子の一人暮らしダウン症の書家

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金澤翔子さんのwiki風プロフィール

 

 

名前 : 金澤翔子(かなざわ しょうこ)

生年月日:1985年6月12日

出身 : 東京都目黒区

母  : 書家の金子泰子

   (号は小欄:号の場合、苗字は金沢)

好きな文字:『夢』

 

 

 

趣味 : カラオケとプール

     カラオケはモーニング娘を歌うことが好き

     小池徹平・マイケルジャクソンの大ファン

 

 

 

 

ちなみに金澤翔子さんは、

SEKAI NO OWARI のボーカリストFukase、

リーダーのNakajinは小学校の時の同級生です。

 

 

 

 

金澤翔子さんは、東京都大田区の書道一家の一人娘

として生まれ、5歳の頃には書道を始めました。

 

 

母・金澤泰子さんは

高齢出産にあたる42歳で翔子さんを出産し、

翔子さんが新生児期にの時に敗血症にかかり、

後にダウン症と診断されます。

 

 

金澤翔子さんは、271文字の般若心経を練習し、

その字を見てお父さんが褒めてくれたそうですよ。

 

しかし、そのお父さんは金澤翔子さんが14歳の時に

他界しています。

 

母・泰子さんは、金澤翔子さんが講演会や個展

などに出席するときは必ず同席しています。

 

 

【English】Calligraphy by Ms. Shoko Kanazawa

 

 

 

 

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金澤翔子さんの経歴は?

 

 

1990年

金澤翔子さんは5歳で書道を始めます。

1995年

全日本学生書道連盟展に「」を初出品

1999年

日本学生書道文化連盟展に「」を出品し

銀賞を受賞

2000年

日本学生書道文化連盟展に「延命十句観音経」

を出品し銀賞を受賞

2001年

日本学生書道文化連盟展に「舎利札」を出品し

学生書道として最高位の金賞を受賞

この年に矢口養護学校に進学します。

2002年

日本学生書道文化連盟展に「」を

出品し金賞を受賞

2003年

ステップアカデミー(現・翔和学園)に入学

しかし中退します。

2004年

書家としての号『小欄』を取得します。

金澤翔子さんの初の個展を銀座書廊で主催します。

翔子 書の世界

2006年

建長寺に「慈悲」を奉納します

2009年

建二寺に「風神雷神」を奉納します

2012年

福島県いわき市に金澤翔子さんの常設館、

金澤翔子美術館』を開設し、館長になります、

この年金澤翔子さんは、

NHK大河ドラマ『平清盛』の題字を担当しました。

 

 

 

現在、金澤翔子さんは、メディアやテレビにも

多数出演されています。

 

 

Shine Brightly, Everyone! Shoko Kanazawa's Kanji of the Year | JAPAN Forward

 

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金澤翔子さんの書に人々が涙するわけは?

 

 

お母さんの金澤泰子さんは、書道を60年以上

やってきましたが、泰子さんの書に涙を流して

くれた人はいませんが、翔子さんの書には本当に

多くの人たちが泣く・・・話しています。

 

 

 

 

知的障害を持って生まれた翔子さんには、

競争心というものが全くないそうです。

いつも穏やかでニコニコしていて、誰かを

羨んだり、争ったり・・・ということがなく

そういう世界とは別の世界で育ったそうです。

 

 

 

 

金澤翔子さんには、偉い人や有名人になりたい・・・

といった社会的な成功への欲望は全くなく、

翔子さんにあるのはただ一つ・・・

『みんなに喜んでもらいたい』という思いだけ

なんだそうです。

 

そんな思いで書いた書には不思議な力があるんだと

お母さんの泰子さんは語っています。

 

 

翔子さんの書を見た人が涙を流すのは、

翔子さんの持っている平和で優しく、

愛情に満ちあふれた世界がそこには

見えるからなのでしょうね。

 

 

そんな優しい金澤翔子さんの書が日めくりになっています!

↓↓↓「日めくり金澤翔子の書」↓↓↓

 

 

 

 

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金澤翔子さんが書家であるのは「般若心経」のおかげ

 

金澤翔子さんは、小学校は普通の学級にいましたが、

小学4年生の時に別の学校の特別支援学級に

移るように言われたそうです。

学校にも慣れ友達もできてうまくいっていた時に

突然の転校になったこにショックを受けた翔子さんは、

一時学校に行かなくなったそうです。

 

このままではダメだ!何かしなければ!

と思ったお母さんの泰子さんは、

276文字ある『般若心経』を

翔子さんに大きな紙に書かせたそうです。

 

 

 

 

でも、親が子供に「教える」というのは

本当に難しいですよね?

 

私も子供に何かを教える時に、子供がうまく

それができないとついつい怒ってしまう・・・

という経験が多々あります。

 

世の中のママたちも一度はそういう経験が

あるのではないでしょうか?

 

翔子さんのお母さん(泰子さん)も、

翔子さんがかけないと、なぜかけないのか!?と

怒ってしまったそうです。

 

でも、翔子さんは、涙を流しながら書いたそうです。

そして、一行書いて墨と涙を乾かす度に・・・

「ありがとう」とお母さんにお礼を言ったそうです。

 

般若心経の完成までは90日かかりました!

 

↓↓↓涙の般若心経↓↓↓

天才女流書家 金澤翔子 涙の般若心経

 

 

叱られながら苦しい思いをして難しい漢字を

書いたことで、書道の基本ができたのだとお母さんの

泰子さんは言います。

その苦しい体験を通して、書の中で翔子さんと泰子さんが

深く強く手を握り会えたのだと・・・

 

そんな二人の間には『恕(じょ)』という二人の合言葉があります。

『恕(じょ)』は、怒らないでネ・・・

ということです。

金澤翔子さんが、お母さんに『恕』というと

お母さんの泰子さんは「ニコッ」としなければいけないそうですよ(^o^)

『恕』という感じには「思いやり」という意味があります!

 

↓↓↓「お母様大好き」↓↓↓

 

 

 

当時翔子さんが普通学級に通い続けていたら・・・

そして一緒に苦しい般若心経を書いていなかったら・・・

今の翔子さんはない・・・と泰子さんは言います。

 

 

表からはわからない苦悩がたくさんあります。。。

 

天使がこの世に降り立てばダウン症の書家・金澤翔子を育てた母の日記

金澤翔子 涙の般若心経

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金澤翔子さん20歳で初の個展を銀座で開く

 

金澤翔子さんのお父さんは金澤翔子さんが14歳の時に

亡くなっていますが、そのお父さんの言葉で・・・

 

「翔子が20歳になったら個展をやろう。

そしてみんなに来てもらい、翔子がダウン症で

あることを公表しよう。」

 

と言っていたそうです。

金澤翔子さんのお父さんは、誰よりも娘の

翔子さんの書の才能を認めていたそうですよ。

 

そんな夫の言葉を思い出した泰子さんは、

翔子さんが20歳になったお祝いに、銀座で

最高の会場を借りて個展を開きました。

 

金澤翔子さん、

二十歳の初の個展『翔子 書の世界』では、

無名の書家の個展にもかかわらず、

2000人が訪れてくれました。

 

そして、その個展がメディアに取り上げられて

話題となり多くの人たちが翔子さんの個展を訪れました。

 

金澤翔子さんの書を見た多くの来場者たちが、

その書に涙を流したそうですよ。

 

 

 

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まとめ

 

ダウン症の人は、すごく優しいと言います。

そして、知的障害を持って生まれた翔子さんには、

競争心というものが全くないと・・・

 

誰かを羨んだり、争ったりということがなく

そういう世界とは別の世界にいる金澤翔子さん。

 

偉い人や有名人になりたいといった欲望も

全くなく、翔子さんにあるのはただ一つ・・・

 

『みんなに喜んでもらいたい』

 

という思いだけ。

 

そんな思いで書いた金澤翔子さんの書だから

優しく、そして力強くもあり、

見る人の心を揺さぶるのでしょうね。

 

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。